2018年9月23日の読書。
書きあぐねている人のための小説入門
『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)は、最後の創作ノートの半分を残すのみ。
読了。
この創作ノートは、創作途中のメモではなく、事後の振り返り。
最近読んだ『季節の記憶』について、かなりのページ数が割かれていた。
何かをつくるということは、雲をつかむような話だ。
マニュアル然とした「小説の書き方」など、何の意味もないなあ。
というのが、本書を読んだ感想である。
サピエンス全史(上)
『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』(ユヴァル・ノア・ハラリ)の続き。
今書こうとしてわかったのだが、「昨日読んだのはこういう内容の箇所だ」ということがすらすら出てこない。
本を開いてみた。
どうやら、「神話による社会の拡大」という章に突入したようである。
この『サピエンス全史』を読むとき、僕はどうしても「現代の私たち」みたいなものに寄せて考えてしまう。
たとえば「未来の懸念」という話。
自給自足の狩猟採集社会では、そのような長期的計画には自ずと限界があった。矛盾するようだが、そのおかげで狩猟採集民は多くの心配事を免れた。
これなどは、会社に属さぬ人は、余計なことを考える時間がないのだ、みたいな話に見えてきてしまう。
谷崎の文章読本
『文章読本』(谷崎潤一郎)。あいかわらず、読み進めても以前に読んだときの記憶は蘇らない。
本書に関する記憶は、2012年途中まで住んでいた家の書棚に、三島、丸谷の文章読本と並んでいる様子だけだ。
たしか積ん読ではなく読み切ったはずであるが、当時の僕には内容よりも「持っている」ことのほうが重要だったのかもしれない。
今、「日本語の語彙は乏しいので、漢語や外来語に頼っているのだ」みたいなことが書かれているあたりを読んでいる。
小説家だけでなく、ライターとかブロガーとか、書くことを生業にする人で、谷崎、三島、丸谷を通過しない人などいない。
そう言い切れるくらいの内容だ。
小説修業
『小説修業』(小島信夫、保坂和志)。
往復書簡(エッセイ)形式。
再読。
はっきり思い出せないのだが、当時は単行本で読んだのではないか。
この中公文庫版は、2008年に出たそうだが、僕が読んだのはもっと前な気がする。
ということは、これも10年以上ぶり。
読み始めた。
トルストイの話。
本書でトルストイの話が出てきたことは、全く記憶になかったが、頻繁に小島さんの『私の作家遍歴』が出てきたことは覚えていた。
当時絶版で、手に入らない本についてずっと話題にし続けることが、おもしろかった。
今は中古であれば入手可能になっているので、そのうち読んでみようと思う。
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