20180929の読書

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2018年9月29日。

やや風邪ぎみ。

台風が接近しているからか、頭痛あり。

読書。

遊びと人間

遊びと人間』(ロジェ・カイヨワ)。

フランスの作家・批評家カイヨワの遊戯論。

ずっと積ん読だったが、ついにページを開いた。

そもそも本書を積ん読にしていたのは、『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ)を理解しきっていない感覚があったからだ。

ホモ・ルーデンス』未消化な僕には、『遊びと人間』を読む資格がないのではないかと思った。

カイヨワは、この『遊びと人間』の「日本語版への序文」の冒頭、こう書いている。

本書は一九五八年に出版された。これはシラーの予言的直観とJ・ホイジンガのみごとな分析『ホモ・ルーデンス』のあとを受けつぐものである。これは、遊びの体系的な分類の試みである。

そう、『ホモ・ルーデンス』が先行した書物であるわけだ。

今回僕は、カイヨワまで読み切ってしまった後に、ふたたびホイジンガに戻って理解することにした。

そう決めた裏には、新たな活動の着想がある。

「しごと遊び」という概念を思いついたのだ。

まだ具体的ではない。

発想を育てなければならない。

「そういえば、『遊びと人間』読んでなかったな」

という流れで、僕は本書を手に取ったのだ。

美濃

ついに、『美濃』(小島信夫)を読み始めた。

「ついに」と書いたのは、沼に入り込むことの決断をした気がするからだ。

小島信夫作品は、とにかく楽しいが、とにかくわからないし、たぶんわかろうとすることが無意味である。

保坂和志さんが、『小説修業』という小島信夫さんとの往復書簡風エッセイの中で、(小島さん宛てに)こんなことを書いている。

今回の返信を書くために『美濃』を十七、八年ぶりに読んだのですが、正直、途中から話を追えなくなりました。はじめて読んだときも途中から人物たちが何を話題にしているのかよくわからなくなった形跡があります。

そんな小説があるのだろうか。

そして奇妙なことに、保坂さんはよく『美濃』に言及している。

この文庫の解説も、保坂さんだ。

34ページまで、読んだ。

もう、わからない。

そして、いい気分になっている。

危険な読書である。

関連エントリー。『小説修業』は、「2018年9月24日」に読了。

見た

僕は、読むともなく、本を見ることがある。

昨日は、夕方から頭が痛く、熟読はせずにぱらぱらとページをめくった。

昨日も、『松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦』、『ぼくらの頭脳の鍛え方』、『学習科学ハンドブック 第二版 第1巻: 基礎/方法論』を、眺めた。

こういう時間は、大切だ。

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