20181005の読書

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10月5日。

ついに『美濃』を読み終えてしまった。

楽しい時間だった。

美濃』は、よく意味がわからないのに、楽しい小説だ。

よくわからないものを自動的に「つまらない」と判断してしまうのは、もったいない。

保坂和志は解説で、こう書いている。

「わからない」と思っている人は『美濃』を捕らえよう把握しようとしている。しかし風景を前にして「いいなあ」と感動しているとき、あなたは風景を捕らえたいと思っているだろうか。ましてそれがプールや池や川や海だとしたらどうなるか?捕らえるのでなく、あなたにできることはその中で泳ぐだけだ。

たしかに、このマインドセットがなければ、『美濃』は読めない。

小説本文の後に、小島信夫のあとがきがある。

最初の頃に読んだが内容を忘れてしまったので、本文読了後に再び読んでみた。

『美濃』は、季刊文芸誌『文体』から随筆の依頼を受けて書き始めたら小説のようになってきた作品のようだ。

締切が今日明日に迫ったとき、その「随筆」を書き出したところ、思ったより長くなりいよいよ時間がきたときには、小説的になっていた。

こういう作り方があること自体が、僕には発見だ。

誰にでもできることではなさそうだが。

小島信夫は同じあとがきで、

三ヶ月毎に締切がやってきて、私は自縄自縛の有様となり、これは『文体』が三年で休刊になるまで続いた。
自分でこんなこといってみたって何にもならないどころか弁解じみているが、最初の三回あたりまでは、読者に腹立たしい感じをあたえるのではないかと思う。

と書いている。

何ともすごい話だ。

そして僕も、最初の三回くらいは、「これは一体何なのだ」という感覚を持って読んだことを思い出した。

もっとも、「『美濃』はおもしろいだろう」という見込みのもとに読み始めていたから、別に腹立たしくはなかった。

もし逆に先入観がなかったとしたら、そこで読むのをやめていたかもしれない。

上で引用した保坂和志の解説からもわかるように、小説は小説の世界に入り込むことでしか楽しめない。
(このあたりの話は、『書きあぐねている人のための小説入門』に詳しく書かれている)

しかし、周辺の情報を持っておくのは、いいことだ。

今回の私のように、「楽しくなるまで待つ」ことができるからだ。

私は、最初のページに戻って、数ページ読んでみた。

おもしろかった。

おそらく、私が『美濃』をふたたび通読するのは数年後だろう。

そのときには、今回よりもさらに味わえる気がする。

「感じる読書」というのも、夢を見ているようで、楽しい。

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