20181012の読書

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10月12日。

読んだ。

対談・文学と人生

朝、あまり気乗りがしなかったので、『サピエンス全史(下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ)は読まず。

対談・文学と人生』(小島信夫・森敦)。

朝、昼、夜と読み、おそらく100ページくらい進んだのではないか。

ここ数日、考えなくなってきた気がする。

本を読んでいるのに考えなくなっていく感覚は不思議だが、これは本の中にいるということなのかもしれない。

突然出てきた「近傍」の話が、あまり理解できていないので、読み終わったら考えようと思っている。

森 唐突な話ですけれども、近傍という言葉がありますね。砕いていえば、あたり近辺隣界隈ということなんで、その近傍というものを数学では非常に重大なものとして取り上げるわけです。これは広中平祐さんと話したときに、広中さんは位相数学というのをやっているんですがね。位相数学というものは、一言もってこれを覆えば近傍だと、こういうんです。
 その近傍というのは、これをうまく図にすることができます。たとえば円を描きますね。円を描きますと、空間は円周を境界線として内部と外部に分れますね。じゃ、その境界線は内部のほうについているか、外部のほうについているかということになると、境界線は外部についているんですね。内部におると境界線がないんですね。だから近傍というものは、我々は今日この部屋を近傍として小島さんとお話していることもあれば、それからまた東京全体を近傍としていることもあれば、世界中を近傍としていることもあれば、宇宙を近傍としてくることもある。

無学な私は、読んでいる最中、ちんぷんかんぷんだった。

(今引用して少しだけ理解した)

このあと、近傍はいたるところが中心になれること、演劇は近傍ではないのではないかということが語られ、シェークスピア、トルストイ、ゴーリキーと話題が展開されていった。

その間、「近傍ってなんだ」と、前提知識の欠損を感じながら読み続けたわけだが、なんとなくおもしろかったから、今はこれでよい気がする。

先ほど私は、ここ数日考えなくなったという意味のことを書いた。

「近傍ってなんだ」と考えているんじゃないかと自分自身からもツッコミが入りそうなところだ。

それについて自問自答したところ、やはり、ほとんど考えていないという結論になった。

近傍とは何かについて考えるということは、その先を言葉にするということだ。

私は、「近傍ってなんなんだろうな」から先を、何も言葉にしていない。

だから、考えていない。

里見弴の『文章の話』という本には、言葉にできていないというのは考えていないことと同じであるということが書いてある。

「まだ言葉にできない」は「考えていない」のと同じことである

対談・文学と人生』は、夢の中にいるような感覚になる本だ。

そういえば、『美濃』を読んでいる最中も夢を見ているようだと感じたし、寝る前に『美濃』を読んだ夜に見る夢は、いつもにも増して奇妙で、しかし気持ちがよかった。

僕は最近、『対談・文学と人生』を通じて、考えることよりも、夢を見ることを選択している。

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