小島信夫の『寓話』(20181021の読書)

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10月21日。

終日出かけていたので、あまり本を読まなかった。

小島信夫、寓話、残光

移動中、小島信夫の『寓話』を読み始めた。

500ページ以上ある単行本だ。

僕は、出かけるときには「移動中に何を読むか」を考えていくことが多い。

通常は、文庫本や新書など小さい本か、今読んでいる本のどちらかだ。

だが昨日は、まだ読んでいない大きくて重い本。

20分以上乗り換えなしで空いている電車に乗るので、いいかなと思った。

が、昨日はたまたま混んでいて、僕は立ったまま重い『寓話』(僕が入手したのは福武書店版)を読んだ。

保坂和志によると、本作が小島信夫の代表作のひとつと言えるらしく、期待している。

さっそくメタフィクション的なことになっていて、僕は分かろうとするのを諦めている。

夜寝る前、『寓話』ではなく『残光』を読んだ。

残光』は、小島信夫の遺作で、90歳だか91歳だかのときに発表された小説だ。

小説だと書いたが、読み始めるとこれは小説ではなく随筆なんじゃないかと思えてくる。

出てくる固有名詞は実在の人物だし、エピソードもおそらく実際にあったことだ。

でもこれは小説なのかもしれなくて、読者は「文学って何だ」と考えることになる。

で、なぜ『寓話』の続きではなくて『残光』(の再読)なのかというと、実は僕にもよくわからない。

わからなかいながらも自分の行動を分析すると、

  • 『寓話』の世界に入り込むのを、ゆっくりやりたいと思っている
  • 『残光』の中に『寓話』の話が出てきたというのをどこかで読んで、でも僕はそれを覚えていない。だったら同時並行で読んでみたい

というあたりが理由なのだろうか。

もっとも、今この瞬間何を読むかは、「気分」とか「思いつき」とか、そういうものによるのは普通のことであろう。

だから、僕が今書いたのは、「自分の思いつきを解説してみた」みたいなことなのかもしれない。

ところで、11/9に101年倶楽部限定でSoreo(株式投資セミナー)を開催する。

その準備(作業)と小島文学(を読むときの頭の使い方)の相性が悪い。

どうしたものか。

でも読みたい。

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