10月26日。
昨日までの頭痛はすっかりおさまっていた。
そろそろ『残光』を読み終わるんじゃないかと思っていたのだが、そうならなかった。
夕方まで頭痛。
残光
『残光』(小島信夫)も、終盤。
このブログを書くために、昨日読んだと思われるページを繰ってみた。
まったく覚えていない。
そして、唐突に「第三章」という表記があることを見つけた。
もはや、何が第三章なのかわからない。
ストーリーも何もあったものではないのだから。
しかもその第三章なるものは、保坂さんとのトーク云々という、今まで散々読んできたことの言い直しだったりする。
いや、厳密にいうと同じ話はほとんどないのだが、読んでいると、「また保坂さん……」と苦笑せざるをえないのだ。
この人の閾
朝と、昼と、歯医者の待ち時間で『残光』を読んで、最後15ページほどが残った。
歯医者から帰宅して、ぼんやりと小津安二郎の映画、『お茶漬の味』を見た。
そういえば、今年は映画をほとんど見ていない。
夕方から、101年倶楽部のシークレットイベントがあるので、再び出かける。
電車の中で読む本を考えた。
『残光』はすぐに読みきってしまうので、違うものにしたいところだ。
それでも、まったく違う毛色のものを読む気にはなれない。
そうだ、今こそ「保坂さん」の出番ではないか。
ということで、未読だった『この人の閾』を手にとり、新潮文庫のカバーを外して本棚に横にして置き、外出用のブックカバーをつけた。
電車の中で、読み始める。
ストーリーがないことで知られる保坂作品だが、「ああ、久しぶりに普通の小説を読んでいる気がする」と思った。
『残光』が強烈だったせいなのだろう。
同時に、普通などというものがないのに、勝手に普通を作り上げていることにも気づく。
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