文体の話

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何を書けばいいかわからないが、とりあえずUlyssesを起動してみたのである。
小島信夫の「女流」を読んでいて、後半話を追い切れていない。
わたしは小説を読んでいるとき、ストーリーを追いきれないことが多い。
それでもおもしろいと思えば、戻らず読み進める。
そうでないときには、読むのをやめてしまう。
かつては、覚えているところまで戻って読み返したが、最近はそうしない。
理由は自分でもはっきりわからないのだが、おそらくわたしは、ストーリーにあまり興味がないからなのだと思う。
「女流」は、おもしろい。
漱石などの、明治の小説のような空気が流れている。
芸術分野での師匠、弟子、周辺の女性など、舞台設定のせいもあろうし、小島信夫の文体のせいもあるかもしれない。

文体という単語は、(たしか三島由紀夫がどこかで書いていたが、)、「ですます」とか、「体言止め」とか、「箇条書き」とか、そういう外形的なものを指して使われることが多いが、実は奥が深い。 
文章に流れる「何か」全体が、文体だ。
ある人の文章を読んで、「誰々さんっぽい」と感じることがあるだろう。
それが、文体だ。
文体には、人生が現れる。
今現在の、その人が出る。
だから、文体を変えるというのは、「です・ます」から「だ・である」に変えるというレベルの話ではないし、ましてや「です」が続きすぎるから、たまには「ですよね」にしましょうなどというのは、文体の話でもなければ、文章の話ですらないかもしれない。

みたいなことを念頭において、人のブログを読むのが好きだ。

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