『未来への大分岐』読了

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先ほど、『資本主義の終わりか、人間の終焉か? 未来への大分岐』を読了して、あまりに眠いので20分だけ寝て、今起きた。

心身の状態により読書は変わる

昨日あまり眠れなかったので、今日は眠い。

なぜ眠れなかったのかというと、辛いことがあったからで、寝たのに1時間で目が覚めてしまって、しばらく起きていたりして、おそらく4時間くらいしか寝ていない。

辛いことがあったといっても、今日は髪を切りに行ったし、手帳お茶会も開催できたし、それができる程度の落ち込みではあるので、ずっと後になって振り返ってみれば、大したことではないはずである。

何でこんな話をしたかというと、読書というのは、数日にわたってしたときに、読んでいる自分のコンディションがまちまちなはずで、だとすると、印象に残った個所というのは、単に集中しているときに読んだ個所なのかもしれない、と思ったからだ。

実際昨日は、ジブン手帳を見ないと、そもそも何の本を読んだのかさえ、思い出せない。

日中は元気だった気がするから、たしか本を読んだと思うのだが、何の本だっただろうか。

外出して、電車に乗って、リュックを開けるのが面倒で、スマホのkindleで、保坂和志の『小説の自由』を読んだ気がしてきた。

過去に読んだことがあると分かるかどうかも、読んだときのコンディション次第か

『小説の自由』は、何年も前に、それこそ文庫にすらなっていないときに、発売直後の単行本を読んだきりなので、内容をほとんど覚えていない。

わたしは、kindle端末とスマホのkindleアプリを併用しているのだが、どうやら、スマホで読むときに「他の端末で〇〇の位置まで読んでいます。移動しますか」というメッセージに「いいえ」と答えてしまったようで、以前に読んだところをまた読んでいるようだ。

kindle版は再読ではないのに、たまに自分が引いたマーカーに出くわす。

ところが、「ああ、この話か、読んだわ」と思うわけではなくて、「もしかしたら過去に読んだことがあるのかもしれないし、ないかもしれない。いずれにしても、保坂和志が書きそうなことだなあ」ということを思うだけである。

以前読んだかどうかを覚えているかどうかも、単に話の内容が印象深いものだったかどうかだけではなく、もしかしたら、読んだときのコンディションによって、記憶の濃淡があるのかもしれない。

『未来への大分岐』は、そういう意味でいうと、眠いと思いながら最後の30ページほどを読んだので、おそらく最後のポール・メイソンの章はだいぶ理解度が低いと思われる。(マイケル・ハートとマルクス・ガブリエルの章も、完全にわかったわけではなく、むしろ誤読しているところも多そうなのだが)

読書というのは、奥が深い。

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