競争だけがすべてではなく、「儲けているからすごい」は疑問だし、偉大な本は退屈である

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ラッセル幸福論』を読んだ。

これを何回も読むとよさそうだなあと思った。

1930年に書かれた本。

今読んでもおもしろい。

第一部で不幸の原因、第二部で幸福をもたらすものが書かれている。

要するに、「人は何で不幸なのかを知り、幸福になるように生きよう」ということだ。

単純だが、難しい話だ。

ラッセル幸福論を読んでわかったことをまとめておこう。

成功の追求は義務ではない

彼が成功を望むだけでなく、成功を追求することは男の義務であり、そうしない男はつまらない人間だ、と心から信じているかぎり、彼の生活は依然としてあまりにも全力投球型で、あまりにも不安にみちているので、幸福なものにはならない。

受験〜就職〜出世と、わたしたちはいつの間にか「競争」にさらされている。

わたしはそういうものが苦手なのだが、自分がそれが苦手だということすら忘れてしまっていた。

環境というものはおそろしくて、常に競争があれば、あるのが当たり前だと思ってしまう。

でも本当はそんなことはなくて、競争したくない人はそこから飛び出せばいい。

「競争に参加しなくてもいいのかもしれない」

本書を読んで、そのことに気づくと、気持ちがラクになる。

「儲けているからすごい」はやめよう

ラッセルは、ヨーロッパとアメリカの価値観を、次のように比較する。

・ヨーロッパでは、

科学者は、金をもうけるかもしれないし、もうけないかもしれない。しかし、金をもうけたほうが、もうけない場合よりも余計に尊敬されることは、絶対にない。

・対して、アメリカでは、

ある弁護士が本当に法律のことをよく知っているかどうか、部外者にはさっぱりわからない。だから、彼らの価値を判断するには、彼らの生活水準から推定される収入によるほうがやさしい

と思われている。

これは『幸福論』が書かれた1930年当時の話だが、今の日本は上の例のアメリカに似ている。

ネットでもリアルでも、「儲けている。ゆえにすごいはずだ」と思い込む心理を利用して商売している人ばかりだ。

ブログだって、「文章が上手い人」よりも「ブログで稼いでいる人」のほうがすごいということになっている。

それ、なんだかつまらなくないか。

ということがわかった。

偉大な本は、退屈なものだ

・偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいるし、古来、偉大な生涯は、おしなべて退屈な期間を含んでいた。現代のアメリカの出版業者が、初めて持ち込まれた原稿として旧約聖書を目のあたりにした場合を想像してみるがいい。
・「(略)さわりの部分を選び出し、余計な箇所を省いてください。そして、適当な長さに縮まったら、もう一度原稿をお持ちください。」こんなふうに現代の出版業者は言うだろう。現代の読者がどれほど退屈を恐れているか承知しているからだ。

サクサク読めて、「わかりやすかった!」みたいな感想を抱く本は、別に読まなくてもよかった本だ。

わたしたちが逃げがちな、「退屈さ」。

これとじっくり向き合って、ひたすら考えることでしか、頭はよくならないのではないだろうか。

とはいえ、つまらない本を出しても売れないのだから、今日の飯を食わねばならない出版社の立場もわかる。

わかるが、消費者であるわたしたちは、そういう「体に悪い」ものだけ食べないほうがいいよという話である。

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