つながらない、何もしない、くらしを整える、余白をつくる

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この一年ばかり、友人と会う機会が、めっきり減った。
現代社会は過剰接続だと言われていたし、わたしもそう思っていたところだ。
外的な要因で、つながりすぎを解消したわけである。
これはおそらく、わたしだけではなくて、世の中全体がそうなのであろうと思う。
個人と社会の関係というのはおもしろくて、自分が「つながりすぎだなあ」と思っても、「つながる世の中」にいるうちは、その構造から逃れるのは難しい。
今回のように、皆が家にいなければならない状態を強いられて、初めて「つながらない」を実現できる。
わたしは、たとえばzoomのように、「会えないのでオンラインでイベントやります」という類のものとは、極力距離を置いている。
せっかく「つながらない可能性」を探れるのに、擬似的なリアルイベントなどに巻き込まれたら、もったいないではないか、と。
では、人と会うのを減らして何をしているのかというと、これがまたおもしろくて、何もしていないのである。
だったらzoomでも使って何かすればいいと思うかもしれないが、そうではない。
何もしないという表現には、複数の意味があって、ひとつは、「特別なことはしていない」という意味で、すなわち、くらしを整えている時間である。家事だったり、睡眠だったり。
もうひとつの意味は、「何もしないをしている」とでも言ったらいいだろうか。「余白」だ。
過剰接続というのは、余白をどんどん奪って行くもので、余白というのは、心の余裕と言い換えてもいい。
だから、「何もしない」は、「心の余裕をつくっている」ことになる。
そういえば、去年から、手帳を書けなくなっているのだが、日々の生活に追われて書けないわけではなくて、書かないかわりに何に時間を使っているかと考えると、おそらく料理だ。
先ほどの表現に当てはめると、「くらしを整える」に該当する。
3年間、手帳を書き続けて、時間の使い方はかなり熟達した。
そして、その頭で、料理を選択したということだ。
これはこれで、とてもいいのではないか。

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