雑業家、はじめました。

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わたしは、「雑業家(ざつぎょうか)」というものになりました。

雑業は、辞書には、

「種々雑多な仕事や職業。また、一般の職業の分類に入れにくい職業。」(デジタル大辞泉)

とあります。

わたしは、主として後者の意味で使用しています。

仕事は好きではない

会社員をやめてから、わたしは「何をして生きていこうか」と模索してきました。

株式トレードを収益源として活動していましたが、それは生きがいみたいなものではなく、あくまでも資産運用です。

だから、「株以外にも何かあったほうが楽しいよなあ」と思ったんですよね。

そこでわたしは、株を教える、ひとり起業の人向けにサービス設計のコンサルをする、ワークショップのデザインをする、教育事業のコンサルをする、とか、いろいろフリーランス的な動きをしてみました。

怠惰なわたしにしては、頑張りました。

ところが、しばらくすると、(仕事として問題なくやったとは思うのですが、)何かが違うと感じ始めました。

最初は違和感の正体がわからなかったのですが、昨年ようやく言葉にできました。

「わたしは、仕事というものが、嫌いなのかもしれない。」

身も蓋もないですが、本当にそうなのです。

ちゃんとしなくてはいけないとか、間違えたり迷惑をかけたらどうしようとか、満足してもらえなかったらどうしようとか、そういうプレッシャーに、わたしは耐えることができません。

ザコなのです。

そして、かつてのわたしは、そのことを自覚していたのです。

それが、長年「社会への適応」を頑張っていくうちに、忘れていきました。

これは仕方のないことで、そうしなければ会社員をやっていられなかったんですよね。

無理やりやっているうちに、本当に忘れてしまいました。

でも、会社をやめて自問自答を繰り返すうちに、思い出してきて、昨年ついに、はっきりと自覚したわけです。

ビジネスの外側にも世界は広がっている

これはもう少し根本的な話で、「ビジネスという文脈から出るかどうか」ということなんですよ。

どういうことか。

わたしたちは、知らず知らずのうちに、ビジネスの世界の住人になっています。

「最後は儲からなければならない」

「結果が出なければ意味がない」

「意味があるものしかやってはいけない」

「数字で判断できるもの以外は嘘」

そんな価値観を、自分の中に育てていっています。

だから、「○○で稼ぐ」みたいなのがウケるんですけどね。

ちょっと前に、ピカソが金持ちでゴッホが貧乏だったのはなぜかみたいな話題をネットで見かけましたし、その論には、とても説得力がありました。

でも、それは「儲かることが成功だとしたら」という前提条件つきの話なのです。

みんながみんな、その前提条件に乗っかる必要は、ないはずです。

その前提条件、つまりは「ビジネス」の外側にも世界は広がっています。

でも、わたしたちにはそれが見えにくくなっている。

学校でも会社でも、そう思うように教育されています。

例えば会社で、「儲かるかどうかなんてまったくわからないし、たぶん儲からないんだけど、とにかくおもしろそう」なんていう企画出しても通らないじゃないですか。

おもしろかったり美しかったりすることは、儲かることよりも下に見ることが当たり前だという価値観なわけですよ。

でも、本当にそうでしょうか。

そのビジネスの外側には、芸術だとかそれ以外の何かが、たくさん広がっているはずです。

わたしは、自分がいるべき世界を、構築することにしました。

そのとっかかりとして、「雑業家」というのを始めることにしたのです。

わたしなりの雑業家の定義は、

「仕事かどうかわからない、儲かるかどうかも気にしないシゴトらしきものを、複数、主体的にやる人」

です。

「頼まれたことを何でもします」という何でも屋さんとは少し違います。

何をするかは、自分で決めます。

複業家とも違います。

儲かる気がない。

それぞれのシゴトらしきものの、目標利益は1円です(笑)

で、ポツポツと雑業を始めています。


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