手帳とノートの違いについての考察「自分以外について書かれるかどうか」
手帳とノートの違いについての考察。
前回は、「時間の概念」について書きました。
今回の話は、「自分以外について書かれるかどうか」です。
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自分そのものの話
あなたの手帳、ノートには、それぞれどれだけ自分の話が書かれるでしょうか。
「え、そんなのどっちにもたくさん書くよ」と思ったかもしれません。
事実でしょう。
手帳に予定や行動のログが書かれたり、ノートに悩みが書かれたりしそうですよね。
「自分そのものの話」は、手帳、ノートのどちらにも書かれます。
自分とは一見関係のなさそうな話
次に、自分とは一見関係のなさそうな話について考えてみましょう。
例えばノートに、「任天堂スイッチはなぜ売れたのか」と書く人がいたとしましょう。
普段考えていることをノートに書く。
やっている人もいますよね。
もしこの例の人が任天堂スイッチを愛用しているのだとしたら、これは「自分に直接関係する話」です。
なぜなら、「私が」なぜスイッチをおもしろいと思うのかという話だからです。
では、スイッチをまったく触ったことがない人だったという設定に変えて考えてみましょう。
そういうのも、ノートに書かれそうですよね。
日々のニュースを考察したり、道を歩いているときに気になったことを言葉にしてみるためにノートに書く。
それも成立していますよね。
手帳には「スイッチが売れた理由」は書かれない
では、同じ内容を手帳に書く人を想像してみましょう。
「スイッチが売れた理由」です。
どこか、違和感がありますね。
「なぜ自分がおもしろいと思うか」ならばギリギリいけそうですが、「なぜ売れたのか」は、書かれるイメージがわきません。
「任天堂スイッチはなぜ売れたのか」というお題が、手帳というフィールドに合わないんです。
なぜ合わないのかというと、手帳には見えない制約があるからです。
手帳が、自分またはそれに関連する話を書くツールだからです。
だから、「手帳で人生を記録する」というのは自然に聞こえるが、「ノートで人生を記録する」と言われると、少しだけ「ん?」と違和感が生じます。
「少しだけ」と書いたのは、手帳とノートの機能重複(記録できる)部分によって、「まあできるだろう」と感じるせいです。
重複部分とは、上で書いたように、「自分そのものの話」です。
いかがでしたか。
今回は、「手帳とノートの違いについての考察『自分以外について書かれるかどうか』」でした。
手帳だけだと、思考が自分そのもののことだけになってしまう可能性があるのですね。
▼いしざわのnote