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日記は「書く」のではなく「つける」もの

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わたしは二年間、手帳で日々を振り返ってきた。

ジブン手帳の24時間バーチカルのページ(「DIARY」)にライフログを残し、メモページ(「IDEA」)に振り返りを記録した。

振り返りには、「できごと」も書くので、これはいわゆる日記に似ている。

しかしわたしは、あえてこれを日記と呼ばないことにしていた。

日記はあくまでも日記であって、振り返りのなかに出てくる「できごと」の羅列とは違う気がしたからだ。

現代詩作家、荒川洋治による『日記をつける』を読んだ。

思えば、「日記とは何か」を考えるきっかけをくれる本というのは、過去に読んだ記憶がない。

「そのうち考えよう」と思っていたことを、わたしは本書を読みながら考えた。

日記に文字を記すことを「日記をつける」という。「日記を書く」でもいいが、「つける」を多く使う。「書く」は、書いた文字がそのときだけそこにあればいいという、どちらかというとそういうものであるのに対し、「つける」は、しるしをつける、しみをつける、がそうであるように、あとあとまで残す感じがある。いつまでも残すように記すこと。これが「つける」なのだと思う。だから日記は「つける」のだ。

たしかに、「書く」よりも「つける」のほうがしっくりくる。

日記は「残す」ためのものだからだろうか。

わたしが振り返りで書く「できごと」を、「これは日記とは違う(気がする)」と感じていたのは、その部分を後で読み返しても楽しくなかったからだ。

読み手にとって楽しくない。

「文章」ではなく、「箇条書き」だったのだ。

荒川洋治によれば、日記もさほど詳細に書く必要はないという。

だから、一見すると箇条書きにも似ている。

だが、それは文章として書かれているので、通底するリズムがあるはずである。

だから、日記は読み返すと楽しい。

わたしは、これまで曖昧だったこの部分を言語化できたので、晴れて「日記」をつけることにした。

その際、これまでの横書きから、縦書きに変えてみた。

1週間ほど経過した。

楽しい。

書く(つける)のも、読み返すのも楽しい。(昨日、週の振り返りをするときに1週間分を読み返したのだ)

目次

  1. 日記いろいろ
  2. 日記はつけるもの
  3. 日記のことば
  4. 日記からはじまる
  5. あなたが残る日記

本書を読めば、「日記って楽しいかもしれない」と感じることだろう。

わたしは、自分という読者のために日記をつけていこうと思う。

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