文章は読ませるために書く

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こんにちは、いしざわです。

今回は、里見弴の『文章の話』について。

「わからない」からの知識の構成

読んだ直後は、わかったような、わからないような感覚でした。

「子ども向けに書かれた本だけど、むずかしい。本当に自分は理解できたんだろうか」と。

しかし、知識というのはおもしろいものです。

読み終わって1ヶ月以上たった今『文章の話』について再び考えるようになってきました。

そして、徐々に、わかってきた気がします。

知識がつくられて、または元々持っている知識とつながってきているのでしょう。

ここからは、『文章の話』のなかで印象に残っている内容、「文章は読ませるために書く」について。

文章は読ませるために書く

・文章はなんのために在るか。
・数々の文章のなかには、絶対にひとの眼に触れさせたくない、という意思の下に書かれたものも、必ずしもないかぎりではありません。例えば、死ぬ前に、間違いなく焼き捨てて行こう、という決心で書き綴った「日記」だとか、ひとに見られたが最後、身の破壊になる「犯罪者の手控え」だとかいうようなものもあるでしょう。しかし、それらとても、必要に応じて、自分は読み返す気があればこそ書くので、 ー つまり、読者が、「自分自身」という、たった一人の人間に限られているだけの話で、結局、
文章は、読ませるために書く。
ことに、間違いありません。

自分だけが読む文章さえ、自分という読者のために書いているというわけです。

それに関して、思い出すことがあります。

「日記ブログ」というものの話です。

数年前、いろいろな場所で「アクセスを増やしたいのであれば、ブログに日記を書かないほうがいい」という話を見聞きしました。

天邪鬼な僕は、「日記しか書かないことにしようかしら」と、自分の話を書き続けました。

結果、たしかにアクセスは増えませんでしたが、友人がたくさん増えました。

これはこれでよかったと思っています。

最近、「日記を書くことにも一定の価値があるね」という言説がネット上に増えてきました。

天邪鬼な僕は、「それは本当だろうか」と思っていたところでした。

「日記でいいよ」と言われると日記は書きたくなくなるという(笑)

さあ、話題を『文章の話』に戻しましょう。

今の日記ブログの話と、「文章は読ませるために書く」という話を突き合わせてみると、あることがわかってきます。

それは、「日記ブログは、いわゆる日記ではないかもしれない」ということです。

紙に書く日記の読者は、誰でしょうか。

自分だけですね。

では、ブログに書く日記は?

本当に自分だけを想定しているなんていうことがあり得るでしょうか。

そうだとしたら、なぜ公開するのでしょうか。

少なくとも、自分以外の何人かは読むかもしれないと思っているはずです。

だからこそ、「さすがに書けないこと」がたくさん出てくるんでしょう。

もし、誰かが自分自身だけのために書いた日記をブログに公開したら、ものすごく読みたいですよね(笑)

でも、「日記ブログは読まれない」と言われてきた。

それは、「読まれたら嫌なことは書かないし、しかしその読者のためにも書いていない」という、読者を想定しているのかしていないのか分からないブログになりがちだからです。

ということは、「自分と他人が読むための日記」としてブログを書いたら、かなりおもしろいんじゃないかと思うんですよ。

よくある日記ブログって、他者である僕たちが読むと、情報が足りないと感じますよね。

そういうところを埋めていけば、相当楽しい内容になりそうな気がしませんか。

今後僕も、ブログやnoteでたくさん日記を書いてみますよ!

ということで、『文章の話』を読んで1ヶ月たってから「文章は読ませるために書く」について考えたことでした。

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